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自分自身と向き合った7年間

  • 執筆者の写真: KGK公式ブログ
    KGK公式ブログ
  • 3月19日
  • 読了時間: 4分

証#96 執筆担当:山口翔(関西地区副責任主事・広報メディア部担当主事)


2025年3月をもってKGK主事を退職することとなりました。2017年からKGKで仕え、7年間の歩みの中で、二つのことを体験し教えられました。


一つ目が、学生たちの凄みです。凄みというのは、学生たちの主体性が発揮され、活気と力に溢れていることです。


私は主事として、学生たちに手取り足取り教えることで、彼らの信仰の応答を励ましていこうと考えていました。しかし、学生たちは、私が手取り足取り教えようとする前に、もう手足を動かし、自分たちなりに考え、決断し、行動しているのです。私はいつもそれに驚かされ、感心させられていました。


そしてその主体性は、学生たちが本気で神様に応答しようとしている証です。「どうしたらみんなが励まされる祈祷会にできるか」「未信者の友達にどうすれば伝道できるか」「お互いにもっと愛し本気で交われる交わりにするにはどうすればいいか」そんな、学生たちが神様からの宣教のチャレンジに、互いに愛し合うチャレンジに、何度も応答する姿を見ました。


また、本気で祈る姿も見ました。特に合宿や春・夏のキャンプでは、肩に手を置いて祈る姿、円になって祈る姿、廊下で祈る姿。そんな本気で祈る姿を何度も見ました。


普段、笑って楽しんでふざけているだけかと思えば、ガチで神様と向き合う彼らの姿から、私は何度も励ましを受け、学ばされました。主事という「教える立場」でありながら、逆に手取り足取り教えられました。励ます立場でありながら、逆に励まされ続けていました。


そんな学生たちの凄みを見ることができて、私は本当に幸せでした。学生たちの温かい言葉、素敵な笑顔、爆笑する顔。一人一人との思い出が私の宝物です。


二つ目が、主事という、教える立場の責任の重さを教えられたことです。


東海地区、関西地区と二つの地区を経験し、それぞれの地区の学生に合わせて、「学生とどう向き合っていくべきか」「学生をどういう方向性へ励ましていくことが彼らにとって一番良いか」そんなことを、たくさん話し合い、その中で私はたくさん教えられました。真面目すぎてもいけない、ふざけすぎてもいけない、笑いを忘れてはいけない、干渉し過ぎてもいけない、放置しすぎてもいけない。


何よりも、私たちは学生たちの信仰を取り扱う者であり、教会から信頼されて送り出していただいている。その責任の重さと、厳粛さという大切な姿勢を教えられました。同時に、その姿勢は、神様に和解のことばを委ねられている、一人のキリスト者としても大切な姿勢だと受け取っています。


説教について、先輩主事の方々から批判していただいたことも感謝でした。ほぼ毎回説教を見てもらい、丁寧な手ほどきを受けていました。どんな言葉が学生に刺さるのか?逆にどんな言葉が刺さらないのか?これは伝えないといけない。これは言わない方がいい。ここに証しを入れないと具体性がなくピンとこない。ここはあえて順番を変えた方がいい。そのように教えていただきました。説教への姿勢は、そのまま学生と向き合う姿勢につながると思います。説教について考えると同時に、自分は学生とどう向き合っているのかも考えさせられていました。


このような7年間の体験を通じて、私は自分自身と向き合わされ、自分自身について教えられたと感じています。結局、どんな働きをするのかは、自分がどんな人間なのかをそのまま映し出すことだと思いました。先輩主事からの助言と叱責、数々の失敗、時に学生との衝突。そのような出来事を通じて、初めて見えてくる本当の自分の一面。そして、「自分はまだ知るべきことすら知らない」人間だと、謙虚にへりくだるように教えられました。その経験は、私にとって幸いでした。7年間、私を育て成長させてくださった神様と、KGKに感謝しています。


4月からは、一般の企業という「遣わされた地」で福音に生きていきます。KGKスピリットは、生涯続く運動です。これからも、卒業生という立場で、KGK運動に関わり続けていきたいと思います。

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