証し#27 執筆担当:鈴木俊見(中四国地区担当主事)
KGKと言えば、その活動の中心のひとつはグループ聖研です。クリスチャンの学生も未信者の学生も一緒に数節の聖書箇所を読み、ディスカッションしながら読み解き、このみことばが自分の生活にどう関係するのか、自分はどう応答するのかを考え、分かち合います。先日、ある学生が聖研後にこう分かち合ってくれました。
「聖研は答えを出す場所ではない」と考えるようになって聖研が楽しくなりました。
私もその聖研には参加していましたが、確かにどう考えたら良いのか難しく、分かち合いもわいわい盛り上がったとは言えない聖研でした。決して司会者の準備が不十分だったわけではありません。確かに難しい箇所でした。
それでもその学生が上のように分かち合ってくれたことは、主事としてはとても嬉しく、良かったなと思えることでした。
信仰の歩みは決して平坦ではありません。悩みや課題にぶつかります。そしてその解決がいつも聖書からすぐに与えられるわけではありません。悩んでも、相談しても、祈っても、解決できないように思えることがあります。
そんな中で大切だと思うのは、きちんとみことばに向き合い、考えること、悩み続けることだと思います。さっと「答え」が分かってしまうよりも、むしろそうやって考え、悩み続けていた方がよりふさわしい解決に導かれることもあります。そういうときこそ、イエス様に近い場所にいるとも言えるかもしれません。自分の記憶にも残ります。そしてまた、次の課題や悩みにぶつかった時にも、考え悩むことができる地力がついていきます。
上の学生も、続けてこう分かち合ってくれました。
それでも、皆と一緒に考え悩んだことはいつかに生きるのかもしれません。
学生時代にこういう経験ができることはとても幸いなことです。人生をキリストとともに歩む礎になるからです。学生たちが、学生時代も、その後の人生も、全生活・全生涯をキリストとともに歩むための人生の礎を、学生時代に築くことができるように、そのためにKGKの働きがますます用いられるように、続けてお祈りとご支援をよろしくお願いします。