ショートメッセージ#22 執筆担当:木下泉(事務宣教局担当主事)
「たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにとられますから。」詩篇23篇4節前半
私が大学4年生だった時、卒業論文の作成をしていました。統計学のゼミに入っていたため、ある統計手法の改良をテーマとして取り組んでいましたが、期待している結果が出てこなくなってしまいました。このままだと卒業できない。そんな焦りの中、夜中の2時すぎに、「お願いします、助けてください」と、ベッドの上で土下座しながら祈っていたことを思い出します。(何とか形にまとまり、卒業することはできました…)
詩篇23篇の作者であるダビデは、当時の私とは比較にならないほど追いつめられていました。詳しくは分かりませんが、ダビデの人気や才能に嫉妬したサウル王から命を狙われていたと言われています。しかし、4節にあるように、ダビデは追い詰められている絶対絶命な状況であっても、神様への信頼によって力付けられました。
私はこれまで、「神様を信頼すると力をもらえる!」、「恐れは神様に委ねれば大丈夫!」といった類の話を聞いた時、不安や恐れを抱いたら、それは自分の信仰が薄い証拠なんじゃないかと思ってしまいました。そして、湧き出た不安や恐れに対し、御言葉や祈りの言葉を都合よく使って、むりやり押さえ込んでいたことが思い出されます。
しかし神様は、そのようなことを決して望んではおられません。神様は本当の力をお与えになるお方だからです。ダビデは23篇の1節~3節にあるように、「緑の牧場」であり、「いこいのみぎわ」である神様のもとで憩うことで、神様の力強さを再確認することができました。このことを通してダビデは、自分の思い込みで湧き上がる不安や恐怖心を無理やり抑え込んだわけでなく、心から神様を信頼することができたのです。
私たちもそうでありたいのです。これまでの信仰生活の歩みの中で、神様が働かれ、力づけられた経験があるでしょう。どうしようもない困難に対峙したときには、その恵みを思い出してほしいのです。もしかしたらあまりにも問題が大きすぎて、今まで自分が経験した恵みを思い出しても無理だと思うこともあるかもしれません。そんなときは、聖書に記されている、神様が働かれた「歴史的」な事実を根拠としたいのです。
数々の不可能を可能にされてきた神様が、今この瞬間も私たちとおられます。この神様とともに人生を歩むことができることはなんと力強いことでしょうか。