総主事コラム#10 執筆担当:吉澤慎也(総主事)
教会における信仰継承の課題を扱うことは、痛みを伴う。教会には、かつて教会に来ていた自分の子どもが、残念ながら今は教会から離れてしまっている親御さんがいるからだ。そういう方々の多くは、とても熱心なクリスチャンだ。だからこそ、悲痛な思いを持っている。自分たちがクリスチャンの親として失敗してしまったかのような罪悪感を抱きながら、それでもまたいつか教会に戻ってきてくれることを期待して祈り続けている。私はそんな親御さんを何人も見てきた。
以前、ある教会を訪ねた時のことである。礼拝後の昼食時に、一人の信徒の方が周りに聞こえないようにそっと私に耳打ちした。「いやぁ、うちの教会は、牧師の子どもが礼拝に来てないんだから、お話にならないですよ。」
もし私たちが、「クリスチャンホームに育った子どもたちが信仰を持つことは、自然なことであり、簡単なことである」「牧師家庭というのは、信仰が最も育まれやすい環境である」などと考えているならば、そこには多少なりとも誤解が含まれているように思う。
KGKには多くのクリスチャンホーム出身の学生たちが集っている。その中には牧師子弟も少なくない。彼らの声に耳を傾けながら、本当によく教会に残ってきたなぁとしばしば思わされてきた。教会が、クリスチャンホーム独特の生育環境を理解することはとても大切なことだ。そしてそれが牧師家庭であれば、なおさらそうだ。ある教会・教団では、牧師子弟たちのための交わりを持っているが、そのような取り組みはとても意味があると思う。
実際のところ、自分の子どもが教会から離れてしまっている、という方がいたら、その方は助けを必要としている。それが牧師であったとしてもそうだ。その親を責め、裁いたところで、何も良いことはない。むしろ教会は、その子どもの教会生活が回復するために何ができるだろうかと、愛をもってサポートしてあげられたら良いだろう。教会に来ている子どもたちに信仰を継承していく使命は、その親だけではなく、教会全体にも託されているのだから。