証し#31 執筆担当:平井泉(全国協議委員会副議長、関西地区・京都女子大学3年生)
全国的に対面のキャンプが再開される中、全国協議委員も、この夏3年ぶりに対面の定例会議を持つことができました。そんな全国協議委員は、私にとって神様がどんなに良いお方であるかを思い出させてくれる存在です。その時々によって語られることは違いますが、全国協議委員の奉仕を通して、神様無しでは生きられない、と何度も思わされました。
私は全国協議委員の奉仕が始まった頃、自分で頑張って連絡を取り次いだり、地区の奉仕の準備をしたりしていました。そのため、あまり神様に対して謙虚な態度を取っていなかったと思います。実際に、「神様、私奉仕頑張ってくるからそこで見てて!」というように、神様は心の中にいるけど、頑張るのは私、成果は自分の努力の結果だと思っていました。
しかし、奉仕をしていく中で、自分の力だけではできないことや、締め切りが近いのに全く準備ができておらず不安になる時がありました。その時、これは神様に頼るしかないと思い祈りました。自分では抱えきれないと思った時には、KGKの友人にも祈ってもらいました。
その祈りは聞かれ、神様は私の思いを超えた恵を与えてくださいました。奉仕が終わり、「祈りが聞かれて良かった、無事終わった!」と思った時に気付かされたのは、今まで自分で頑張って奉仕をしてきたと思っていたけれど、実は神様の働きによって、全てが守られていたのだということです。これは一度だけでなく、何度も何度も、奉仕を通して、また日々の歩みの中で語られました。この恵みによって、神様がいかに大きな存在であるかを知り,信頼しようと思うことができるようになりました。
しかし、この信頼がいつのまにか期待に変わり、自分の基準で失望し、神様が見えなくなる時もありました。その時に与えられたのは、同じ重荷を負う全国協議委員の仲間たちの祈りや交わりでした。私が「この奉仕がつらい」、「やる気が起きない」、と打ち明けた時、また奉仕以外でも日常的な悩みを相談した時、仲間は私の話を聞いて祈ってくれました。
そして、春と夏の年に2回行われている会議のなかで、仲間が話し合う姿からも励まされました。各地区の奉仕に真摯に向き合う姿、会議という交わりに向き合う姿を見た時、それは決して全国協議委員の力だけではなく、背後に神様という大きな存在がいるからこそできるのだと思ったからです。交わりが与えられる度に神様の素晴らしさを思い出し、神様のもとに立ち返り続けることができました。そしてこの恵みが全国協議委員の中だけに留まることなく、各地区に流されていくことも喜びでした。
このような交わりが与えられたことに、そして何よりも神様がいつもこの交わりの中心にいて取り持ってくださることに感謝します。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。ヨハネの福音書 15章5節