ショートメッセージ#32 執筆担当:河野勇也(九州地区責任主事)
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
列王記 第一19章5-6節(新改訳2017)
「喜びがない。」「神様のために頑張りたいという気力がない。」「なんか信仰の調子が良くない。」「どうしたらいいのか、何か取り組むべきことがあるのか。」そう悩み、先輩主事に相談したとき、返ってきた言葉は「休みが必要なのかもね」でした。
旧約聖書の預言者エリヤは、バアルとアシェラの預言者950人に対してたった一人で挑み勝利した勇敢な預言者でした。その後、イゼベルの殺害予告にも屈せず立ち向かったかというとそうではありませんでした。
エリヤは荒野に逃げ、「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください」と自暴自棄になり、「私は父祖たちにまさっていませんから」と信仰の先輩たちと比較して劣等感に陥りました。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らは…」と、一生懸命頑張ったのに一向に変わろうとしないイスラエルの民に失望し、「ただ私だけが残りました」と孤独を感じている。
何もかも嫌になって横になっているエリヤに対して、主は「怠けるな」「信仰が足りない」とは言われません。むしろ、御使いにパンと水を用意させ、ただ食べて横になるだけの時間を与えられたのです。
「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから。」(7節)
たとえ今、預言者としての働きができなかったとしても、エリヤの人生の旅路を知っておられる主は焦ることなく、彼を優しく包み込み、休ませてくださったのです。
私たちは休むことに対して「怠けているのではないか」と誤った罪悪感を持つことがあるかもしれません。しかし、1日の3分の1を眠るよう人を造られ、週の1日を安息日と定められた主は、休むことを大切にされるお方です。心身ともに疲れ果てたエリヤを責めることなく休ませたのも主です。
もしエリヤのように疲れ果て、ネガティブな思考に陥っているのだとしたら、主が私たちを休むようにと招いておられるのかもしれません。可能であれば日常を離れ、おいしいものを食べ、ぐっすり眠ってみてはいかがでしょうか。主にあって休みを選び取ることは、私たちの人生の旅路を主が握ってくださっていることへの信仰の表明でもあるのです。