証#87 執筆担当:拝高美雪(研修メンバーケア部担当主事)
関西地区では昨年から学生たちに「宣教のための10の祈り」を祈ることを励ましています。その祈りの前半部分では、まず自分が誰かのよき友となれるように、そしてクリスチャンであることを告白し、友情を育んでいけるようにと祈ります。後半部分では一歩踏み込み、その友人に福音を伝え、一緒に聖書を読むことができるようにという祈りの言葉が続いてきます。
この祈りを、ブロック祈祷会で学生たちは毎週祈っています。私はこの4月に育休から主事の働きに復帰し、4月の祈祷会で初めて一緒に祈りました。そして学生たちも祈っているのだから、私もまた誰か一人、友人の名前をあげて祈りたいと思いました。ただ、関西に未信者の知り合いがそれほどいない中、誰の名前をあげて祈ったらいいのかと思いを巡らせた時、地元の友人が、ご主人の転勤で関西に来ていることを思い出しました。彼女は20年来の友人ではありますが、もう何年も年賀状のやりとりしかしていませんでした。でもこれも何かの導きと思い、彼女のことを祈ると決め、ブロック祈祷会のたびに彼女のことを思い、祈り始めました。そして祈ること数回、意を決して彼女に連絡をし、会う約束をとりつけ、7年ぶりの再会を果たすことができました。「また会おうね!」と言ってその日は別れたのですが、結局そこから数ヶ月は、何もせずに時間が過ぎてしまいました。でも後期になりブロック祈祷会が始まると、また毎月、彼女のために祈る時間がありましたから、その祈りに押し出され、もう一度彼女と連絡をとりました。するとまさに主が働いてくださったとしか思えない不思議な形で、友人が教会で行われる料理家洋室のイベントに来てくれることになりました。そこからさらに12月に行われた教会学校のクリスマス会にも親子で参加してくれて、私自身が祈りの力に驚かされました。
この間、学生たちには友人とのことをずっと分かち合ってきました。連絡をとろうと思っていることも、久しぶりに会うことになった時も、そして教会に足を運んでくれることになった時も、学生たちは一緒に喜び、また励まし、力強く祈ってくれました。主事と学生は同労者であることを改めて実感する時でもありました。学生たちは学内という宣教地で、私は私に与えられている宣教地で、主の御心を求め、それに従っていくことをこれからも一緒に励まし合っていきたいと願っています。
また、友人との友情をこれからも深め、彼女のよき隣人となることを目指しつつ、彼女のために祈っていこうと思います。いつか彼女と一緒の聖書が読める日が来ることを夢見つつ。
しかし 確かに神は聞き入れ
私の祈りの声に耳を傾けてくださった。
ほむべきかな 神。
神は私の祈りを退けず
御恵みを私から取り去られなかった。
詩篇66章19-20節(新改訳2017)