ショートメッセージ#2 執筆担当:永井創世(東北地区責任主事)
「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」
ピリピ人への手紙1:27a(新改訳2017)
この1年半、このみことばがずっと心に留まり続けてきました。新型コロナウィルスの対応を巡って、私たちは今まで以上に、自分が何に属するものであるのか問われてきたように思います。国や自治体や職場…色々な人達の色々な判断がある中で、誰の声に従うのか、何を信じるのか、どの価値観に生きるのか…。
聖書は「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい」と語ります。この手紙の宛先であるピリピはローマ帝国が建設した都市で、多くの人がローマ市民としての誇りを持ち、帝国の繁栄のために仕えていました。退役軍人が多く住み、帝国市民としてふさわしい生活が求められる独特の空気感を持った場所でした。
しかし、聖書はキリスト者に対し、キリストの福音にふさわしい生活を励まします。「生活しなさい」は新改訳では脚注で「市民として生活しなさい」(別訳)とあるように、原語では「市民」というニュアンスがあります。これは3章20節の「私たちの国籍(原意「市民権」)は天にあります」と結びつく表現で、明らかにパウロはここで、キリスト者の持つ「天の市民権」を意識しつつ、「天の市民としての市民生活」を励ましています。
天の市民としての市民生活。
これは、必ずしもすべての人に生活スタイルの大幅な変革を要求するものではなかったと思います。むしろ、同じ市民生活であっても、何者としてそれをするのか、その「意識」が問われていたのだと思います。
同じ仕事でも、それを天の市民としてすること。
同じ子育てでも、それを天の市民としてすること。
同じ学びでも、それを天の市民としてすること。
同じ「自粛」でも、それを天の市民としてすること。
あるいは、同じ「自粛しない」でも、それを天の市民としてすること。
わかりやすい「正解」が無い混乱の時代だからこそ、いつも天の市民としての落ち着きを保ち、祈りつつ、委ねられている目の前の責任に対して精一杯応答しながらあゆむこと。福音の光の中で自分のあゆみを問い、悩みながらも日々信仰をもってあゆむこと。これが、今日も私たちに求められるキリストの福音にふさわしい生活です。そしてこれこそ、KGKが大切にする「遣わされた地で福音に生きる」生き方です。
「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」
今日もこのみことばに立ち、天の市民として、それぞれの場所に遣わされていきましょう。