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与えられた恵みによって

更新日:8月22日


証#75 執筆担当:小川光(関東地区担当主事・卒業生宣教局担当主事)

 

私は昨年度まで、精神科病院の作業療法士としてリハビリテーションの仕事をしていました。精神科の病院には文字通り、精神、心の病から生活ができなくなってしまった方が入院しています。治療の必要な方へ活動や心理療法を提供することで、活力や生活する力を取り戻す、治療の執行役としての仕事をするのが作業療法士の仕事でした。そういったことをお話しすると、積極的に関わって、専門的な処置をしていくようなイメージを持たれる方も少なくありません。

 

しかし、その仕事の大半は患者さんの変化を「待つ」ことです。治療者が働きかけたとしても、患者さん本人が変わらなければ、その人自身が生活を送ることができるようにはならないからです。彼ら自身の力で退院した後の生活は歩んでいかなければなりません。なので、立ち上がる時を待つことが私の仕事一つでした。

 

これは、主事にも通じるものがあると思っています。それはKGKが“学生主体”の働きであるからです。未だキリスト者がマイノリティであるこの世界の中で、福音宣教の働きは当事者である学生・卒業生が参画しなければ前進はありません。当事者自身が神様との関係や信仰の問題に、自ら向き合い、選び取ることがなければ、変化はありません。

 

変化には時間がかかると思います。確かに短い期間で目覚ましい変化をする人はいるとは思いますが、決して多くはありません。神様に目を向けることすら難しくする要素がこの世界には多くあるからです。それ故、神様を見上げることができるようになるまで、学生・卒業生と時間をともに過ごす「待つ」主事になりたいと思っています。

 

私は、本当は大学を卒業してすぐに神学校に行くことを願っていました。しかし、不本意ながら導かれたのは作業療法士として働くことでした。思い通りにならず、遣わされた地で福音に生きることはできるのかと思わされた駆け出しでした。

 

しかし、この「待つ」主事になりたいという考えは、決して大学を卒業したばかりの私では得ることができなかったと思っています。この3年間を通して、主にあってこの世界で働くことの素晴らしさを知り、遣わされた地で福音に生きたいと思うようになっていきました。時間がかかりつつも、その中で主によって変えられ、生まれてきたものが目の前の存在と一緒に「待つ」主事になるという考えだったのです。この考えは今後の働きの軸にしていきたいと願っています。 

 

今までの人生で主が与えてくださったものを用いつつ、精一杯この学生・卒業生宣教の働きに仕える所存です。主に期待しつつ、一足一足、歩みを進めていきます。

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